2000年08月13日
保線区の仕事。決して楽な仕事ではない。
・学園卒業後は、3ヶ月間の各系統を回る現場実習が行われ、駅、運転系統(車掌区、機関区・電車区)電気系統、そして専門の土木系等として、B保線区での実習が行われた。他系統の職場を経験できるのは、多分今回しかなく、それぞれ、非常に興味深くいろいろな経験をさせてもらった。今でも思い出すのは、蒸気機関車の機関助士が行う『投炭』(石炭を蒸気機関車の釜に投入すること)。非常に暑い運転台での投炭は、なかなか難しく万遍に石炭をばら撒く必要があるため、相当の体力と、経験、技術が求められる大変な業務である。
又、車掌業務では、車内を巡回したが、お客さんの前で初めて『ご乗車ありがとうございます』という声がなかなかスムーズに出てこず、お客様から質問が出ないかとひやひやものであった。
・3ヶ月の実習期間を過ぎ、初めての配属先がC保線区。区長は我々大学課程の前身である専門部卒業の大先輩。当時、中央線の線増工事(単線を複線にする)華々しい時、複線化にあわせて多治見の駅構内の配線を大幅に変えるC駅構内改良工事が計画・実施されているときであった。このため学園時代に取得した「測量士」の実力(?)を活かす最高のチャンス。この作業には協力会社が外注工事として担当して頂いたが、これまた専門部の先輩が営む測量会社の指導の下、見よう見まねで始めた測量作業も、徐々に格好が付くようになった。
・線路の保守管理を主に行っているのが「保線区」、線増工事など大規模改良工事を主に担当するのが「工事区」であったが、駅入り口までの線増工事は工事区が、多治見駅構内改良は保線区が担当したが、工事区長さんもこれまた専門部の先輩。周囲に多くの大先輩がいてくれ大変心強い限りであった。ついつい気が緩んでしまったのか、工事区の助役さんに「ねえ助役さん!・・・」となれなれしく話しているところを、海軍兵学校出身の工事区長から、「助役さんに対しての言葉使いが馴れ馴れし過ぎる。もっと助役さんに対しては、キチンとした物の言い方をしなければだめだ!」と、大叱られ、関西弁で気安さもあって節度のない話し振り、大いに反省するところであった。
・当時は、独身寮から、おおむね1時間かかっての蒸気機関車の牽引する列車で通勤。トンネルが多いこの区間では、トンネルに入るたびに窓を閉めないと、機関車の煙が、強い臭いと共に窓から入ってきて、目も口も開いていられるものではない。
一人暮らし、寮に帰れなくても、当直室があるため、マージャンで遅くなってぃは良くこの部屋を使わせてもらった。二段ベッドに男が4人、顔の前に足が伸びてくるという体制で就寝。区長から「カラスの啼かない日はあっても、おまえがマージャンやらない日はないね!」と揶揄される位、仕事も一生懸命やった(つもり)だが、いろいろお遊びにも熱中した時代であった。


