鉄道と災害
2009年06月18日

ここでは、小諸保線区における「台風10号による災害」での保線作業を記載しています。
かなり昔の話ですが、当時の記録をもとに、忠実に記載しおります。
[記事一覧]
・台風一〇号接近 警備発令
・江戸の火消し
・支区裏山が地すべり、避難命令
・川まわしが出来た
・お盆も休んではいられない
・いよいよ開通"バンザイ"
【続編】台風一八号
・続いて台風一八号襲来、再度不通
・山津波が発生、住民二千戸が避難
・再度一七日間の不通
・局長表彰を受ける
2009年06月17日
"大型で強い勢力を持つ台風10号は、12時00分現在、北緯29度55分、東経136度55分、紀伊半島の南約350kmの海上にあって毎時20kmの速さで北に進んでいます。・・・河川の増水や山崩れ等の注意が必要です。"14時30分、連続雨量70mmに達した、川上支区が第三警備を発令、日曜日のため各検査班は1名出勤しているのみであるので、その他に1~2名ずつの検査班職員を呼び出し、重点箇所のスポット巡回を開始。雨はさらに激しくなる。
22時00分、中込支区においても、三種警備を発令。
補足説明:警備とは第一種から第三種までがありますが、第三種は比較的軽い警備、第一種が最も重い警備です。 たとえば台風接近が予測される場合、それほどの大きさでなく、被害もそれほど想定されないときは、保線区に連絡要員を配置する程度の場合は「第三種」、台風が大型で本土直撃で只今接近中のような場合は「第一種」で保線区全員を呼び出し、警戒態勢を整えることを言う。 これら災害警備については、どんな時にどうするか?ということが各保線区ごとに「災害警備規程」などに規定化されており、その時々のケースバイケースにより保線区長が第一種から第三種までの発令を行う。 |
台風10号は、8月2日○時○分、渥美半島に上陸、そのまま中部地方を横断北上し、明け方、日本海に抜ける。台風接近に伴い、雨はますます激しくなり、時には時雨量10数?、最終的な連続降雨量は、川上支区(甲斐小泉)で156mmが最も多く、他支区では中込(小海)99mm、小諸(御代田)121mm、上田(大屋)53mであった。
支区員全員による第一種警備発令は川上市区1日2時30分、中込市区3時00分に、又、 信越線、小諸、上田支区は三時三〇分第三種警備を発令した。
台風の通過を待って、体制の整った所から巡回を開始。現地からの第一報は川上の軌道検査長から
「信濃川上~佐久広瀬間31k730m付近で土砂崩壊が発生、列車抑止する。二次災害のおそれがあり、明るくなり次第調査する。」と。小海線では続いて、次から次へ、出るわ出るわ、線路冠水、護岸欠壊、風倒木、築堤崩壊等々。
さらには「小海構内で築堤が崩壊し、場内信号機が濁流に流されてしまった。」と、宿舎に住んでいる我が区の職員。さらに、一信濃川上~佐久広瀬間の第二千曲川橋りょうが大きく変状し、レールがアメのように曲っている。」
と、国鉄OBからの連絡が入る。
巡回している職員も被害箇所から先へ進むことができず、まだ他にどれだけ被害箇所があるのか、又、いつもは、桁下七~八mもある橋りょうの橋けたに、直接水がぶつかる程の増水では、果して橋脚がとれ程洗掘されているかの見当もつかず、そのうえ電話回線がうまく通じないためか現地からの情報がなかなか保線区に入らず、いらいらのしどおし。被害の全容がつかめたのは、ようやくその日の午後であった。
信越線は小諸・上田支区とも午前六時三五分、巡回完了、全区間異常なし。昨夜二二時二一分から全列車の運転を見合わせており、今朝から運転の予定であったが、他区管内でまだ解除にならず、当分の間運転抑止中。運転再開は昼すぎであった。

小海線は、河川の減水、風倒木の除去等により、小諸~小海間が午前一一時○○分に開通したが、小海以遠の開通のメドは全く立たず、後の調査では、小海線と千曲川が交差する七つの橋りょうのうち、橋りょうのすぐ下流にダムのある第一と昨年改良した第四千曲川橋りょうのみが被害を受けなかっただけで、残り五つの橋りょうは、河床の洗掘等の被害を受け、中でも第二千曲川橋りょうは、橋台と橋脚が大きく傾斜し、橋けたが落ちる寸前、橋台裏約三〇m間の盛土が流失し線路がハシゴ状態となる大被害。他にも一〇数箇所の被害を受けたことが判明した。

被害箇所が把握できたところから応急体制に入り、直轄、外注業者に総動員をかけるが、なんせ被害が大きく、被害箇所が多すぎる。
どの箇所が最大のネックになるのか、いつ開通できるかは全く見当もつかないような状態。
『まず、最低一ヶ月はダメだな』というのが、衆目の見るところであった。
局から現地対策本部へ応援部隊が到着。夜を徹して、応急工法の検討、施工業者の割り振り等を行う。
一方、明日三日は他保線区のレール更換に作業グループが助動に行く予定になっていたため"災害が発生しているのに、白支区の災害応急もやらずに他区へ助動に行くのか?" "列車が動かないのでアシはどうするのか?"等でゴタゴタ。災害応急工事は大規模な土木工事が主体であり、外注にならざるを得ず、また途中までマイクロバスで送り迎えするということで、ようやく助動に行っていただくことになった。
2009年06月16日
「君たちは、江戸の火消しを知っているだろう。火事の発生とともにまっ先にかけつけ、火事場の屋根に○組のまといを掲げるあの心いきだよ。災害の現場では河川の減水をただ待っているだけでなく、仮設事務所、取付道路、照明設備等、いくらでもやる事はあるはず、当然、安全旗がひるがえっていてあたり前。」と。国鉄の置かれている現状の中で国鉄の『力』を見せるには絶好のチャンスである。事実、地元では小海線はこのまま手をつけずにほおっておかれるのではないか、といううわさも流れたとか。その日から大車輪で復旧作業に取り組む。業者も社長自ら、陣頭指揮である。保線区職員も局応援部隊とともに今晩から泊り込みだ。
出足は遅れた。しかし"終り良ければすべて良し"という言葉もある。早期開通にむけ頑張ろう!
2009年06月14日
普通なら台風一過で青空が広がるところなのに、台風に追い打ちをかけるかのような無情の雨。
川上支区の裏山が"地すべりの危険があり、避難して下さい"と地元消防団が住民に呼びかけを行ったため、応急工事中の作業員も作業を一時中止。支区員も避難の体制。
しかし、支区長としては、白分の居る所が危険では落着いているわけにも行かず、さりとて、線路復旧作業中のために逃げ出すわけにも行かず。
たまたま我々も支区へ立ち寄ったが、支区事務室ではトランシットを据えつけ、その山を観察中。不安げにのぞくと動いていない木までが揺れ動いているかの様にも見え、とにかく気持の良いものではない。
県の専間家が現地調査のうえようやく避難命令が解除される。
八月四日、小淵沢~野辺山間は開通し、野辺山~小海間は、バスによる代行輸送が始まる。
この地すべり傾向の山のある野辺山~川上間は八月七日に運転再開。
(この人騒がせな、地すべりさわぎは、台風一八号の際にもあり、警備発令により支区に出動して来た職員が一時公民館に避難し、地元婦人会の炊き出しの世話になるという一こまも。)
2009年06月13日
補足説明:川まわしとは川の中で工事をしようとする時、流れている水の中での工事は大変難しく、この水を止めないと工事ができないことが多い。 しかし川の水をせき止めることは不可能に近いので、川の土砂などで川の半分の水を工事をしない側に誘導し、工事をする場所に水が流れないようにすることを「川回し」と呼んでいる。 |
これが意外に手間どり、最後の部分の水の勢いが強く、どうしても水がまわせない。やり始めてから一日半かかってようやく完了。この間、重機運転者は一睡もせずに頑張りとおしてくれる。
六日の朝、応援に来てくれている工事区の助役から、
「区長、やっと川まわしが出来ました。」
と息せきって連絡してくれる。
丁度、この日、本社常務理事が局長と一緒に現地視察。実にタイミングが良い。
これにより、本格的に応急工事は急ピッチで進むことになる。
一方、松原湖~小海間の築堤崩壊箇所は三箇所、いずれも山あいの急傾斜地を這いつくばうように線路が走っている所で、現場までの搬入路がない。やむなく、線路上にシートをかけ、材木を敷き並べ、重機、ダンプが通れるようにする。
最初のうちは準備に手間どり、なかなかはかどらず、最初のダンプが土砂を運んで来たのが四日の夜。
施設部長に"地交線式災害応急工事か?"とハッパをかけられる仕末。その後要領も良くなり、こちらも急ピッチ。
また資材輸送のため工事用臨時列車を仕立てたことも早期開通の手助けとなった。
2009年06月12日
本日の部分開通にあたり、その区間に危険な箇所はないかと見て廻るが、海尻~松原湖間西三㎞付近に線路からは見えないが、かなり築堤がえぐり取られている箇所があることが判明する。今まで他の人に見てもらってはいたが、皆"大丈夫、大丈夫"というだけで測量をしたわけでもない。どうも心配になり白分の目で確かめたくなり、測量してもらう。築堤高11m、軌道中心からのはなれ七m弱、若干心配がないではない。しかし、地盤が割合しっかりしていること、列車荷重の分布はそれ程、深くまで影響しないであろうことから通すことにする。
確認列車の運転席に乗り込んだが、そこを通る時はどうも良い気分がせず、正に祈るような気持であった。
これにより、あとは第二千曲川橋りょうの現場を残すのみとなるが、何もなけれぼ先祖のお墓参りをしているところだろうが、災害現場にお盆休みなどあろうはずもない。
御先祖様、お許しあれ!
白民党の代議士二名が災害現場視察のため、この松原湖~小海間47k550mの現場を訪れる。
「僕は国鉄再建委員会のメンバーになっているんだよ、しっかり頑張ってくれよ!」と先生から励ましのの言葉をいただく。
災害発生以来、本社、技研、局等多くの方々の現場視察がある。局長も数度現場を訪れ、直接現場指導、良きアドバイスをいただき大変ありがたかった。
第二千曲川橋りょうの応急工法については、盛土復旧案も検討されたが、工期的に最も早く、かつ本復旧案をも考慮した、仮けたを一スパン増やす方法が採用された。
仮橋台・橋脚が完成、八月一七日いよいよ、けた架設。台風通過後も天気の良い日がほとんどなく、毎日梅雨のような雨の日が多く、また今日も雨。R300m、それも緩和曲線中、カーブセッチングを何回もやり直し、夜中三時までかかって行ったその成果が現われる時、果して三連のけたがうまく架設ができるかどうか。特に最後のけたは一瞬緊張するが、ほぼ計算どおり。
我が保線区職員の技術力を改ためて見直す。
これで、あとは軌道関係を残すのみとなった。現地対策本部で工程の最終的な詰めを行い八月二〇日一四時開通見込み(確度乙)とする。
そこへ、構検センターから第三千曲川橋りょうの第二橋台がかなり洗掘され、何らかの処置が必要と思われる……との連絡が入る。やいやい、冗談じゃない。二〇日に開通見込みを出したばかりなのに……と業者連れて、現場へ。ここも全く搬入路のない所であるが何とか、川の中を重機を歩かせ、橋台前面の埋戻しとフトンカゴによる床張りを二〇日午前中に終わるように手配。ヤレヤレ。
災害もあまり広範囲になると、大きな現場に気をとられすぎ他の箇所に目が届かないことがある。特に橋脚の洗掘状態や線路上から見えない護岸や築堤の状態がどうなっているかについては、くれぐれも注意したいもの。時には対岸から、また時には河原に下りて見るくらいの心がけが必要であることを今回特に教えられた。
2009年06月08日
我が保線区直轄部隊によるマルタイ作業も順調に進み
「信濃川上~佐久海ノロ間は、本日、一二時二〇分復旧しました。」と区長から運転部長へ電話連絡。八月二日の列車抑止から今日で一八日ぶりである。踏固め試運転のDLがソロリ、ソロリと最徐行で橋りょう上を通過。仮橋脚の変状を調査中の職員から、
「異常なあーし!」
の声。
一五?/H、三五?/Hと速度をあげ、踏固め試運転は無事終了。いよいよ初列車を待つ。多くのテレビ、新聞社が取材に、空からはヘリコプターが。
午後一時半すぎ、旅行客等でほぼ満員の上り列車が現場にさしかかると、集まった職員、工事関係者約一〇〇人の間から"バンザーイ!"の声があがる。何とも云えない、うれしい一瞬である。ディーゼルカーの窓から中年の婦人が我々に向って"ありがとう" "ごくろうさぁーん"と手を振ってくれたとき、まだまだ国鉄に対する期待は大きいなあ、苦労した甲斐があったなあ、としみじみ感じ、今までの疲れが吹き飛んだようで、実に嬉しかった。
局長とガッチリ握手。ジュースで乾杯。冷えたスイカをほうばりながら苦労話に花を咲かせる。
タ方のテレビに、この開通のニュースが報道される。保線区で皆と一緒にテレビを見ながら
「あっ、作業長だ! やっ、検査長もいるぞ!」
と我が区職員の顔が見え、大騒ぎ。一番良い役割をしたのがこの応急工事の中心となって頑張ってくれた土木助役。バンザイのかけごえをかけ、画面の中央にアップで出てくる。
この助役、保線区土木助役に発令されたのが災害の発生した八月二日。その日、挨拶する間もなく、そのまま直接現場へ、以来開通まで、全く家へも帰らず、現場を担当。
"(雨男なので)自分で台風もって来て、その跡始末をまた自分でやっている"とは、口の悪い者の言。大変苦労をかけたが、彼にとっては、まさに幸運な、華々しいデビューでもあった。
翌日の地方紙に白分の顔写真が出ているではないか。それもニヤケ面。
"一ヶ月以上かかると心配された復旧が短縮できてうれしい。一八日ぶりに開通にこぎつけた原因は三つ。
・工事現場への流れをさえぎる円川廻し」が早く出来たこと
・新たに橋脚をたて橋げたを延長するなと工法を工夫したこと
・盆休みを返上して昼夜にわたって職員と請負業者が頑張ってくれたことをあげてもいいと思います"
との談話も入っている。
「区長!もう少し、締った顔できないかネェ・・・。」
と、新聞を見たのであろう、職員にヒヤかされる。実は今朝、家で新聞を見た女房、子供に云われてきたぼっかりである。
しかし、ま、そう云うな、こんな笑顔を出せるのは久し振りじゃないか。
仕事をやり遂げた感動は忘れられない!
ばんざい!!
2009年05月26日
前回の台風一〇号による災害不通区間が一八日ぶりに開通したのが八月二〇日。
その二〇日余あとに今度は台風一八号がまたまた襲来。
前回の被害箇所はあくまでも応急処置しかしていない箇所が大半であり、実は台風の再襲来を最も恐れていたところであった。
九月十二日○時に中込支区が、続いて二時五〇分に川上支区が、三種警備を発令、線路巡回を始める。前回被害の最も大きかった第二千曲川橋りょうへは、支区助役と業者に見に入ってもらうことにする。
第二千曲川B付近は、前回の応急工事のための川廻し工がそのままで、河川断面が通常の半分以下になっており、中聖牛まで設置したこの頑丈な川廻し工が破れなければ、増水時、対岸の民地が水につかるおそれがあり、地元からも早く川廻し工をてっ去してほしい旨の要請を受けていたところである。
”増水すればこんな川廻し工なんか簡単に破れてしまいますから地元に迷惑をかげることはないと思いますので御心配なく!”
なんて立派なことを云っていた手前、気が気でならない。
三時すぎの第一報では、川廻しに沿って水は二P、三Pに流れているとの情報。やはり、しっかりしているため破れないのかと思っていると、四時半ころ
「川廻し工が中聖牛のすぐ下流で破れ、濁流が川幅一杯に流れているが、橋りょうには異常なし!」
の連絡が入り、ヤレヤレ。
次第に雨館強くなり呼び出し要員も増やさざるを得ない。またまた今日は日曜日。七時すぎ、現場から、
「前回被害を受げた松原湖~小海間四七k五五〇m付近の土俵が変状を起しているので列車を抑止した。」
という連絡が入る。よく止めてくれた。が、これから台風がますます激しくなるというのに、旅客列車を駅間に止めておいたままにするわけには行かぬ。
「現場をよく確かめて、列車が通せるようなら、現場で一旦停止、最徐行で小海駅まで入れてくれるように。」
と指示。ともかく、列車は小海駅に無事到着した模様。これでまず小海線佐久海ノロ~小海間が不通。
十三時、長野県下全域に暴風雨・洪水警報が発令される.
第二千曲川橋りょうは.仮橋脚として鋼製ベンドが三段積み重ねてあり、そのうち下の二段はコンクリートで固めてあるが、最上段は古レールを建て込んで防護してあるのみ。濁流が三段目ベンドに当るようになって来たため、ついに列車抑止。野辺山~川上間の前回、地すべりさわぎのあった山がまた動き出した模様ということで、"避難命令”が出される。
甲斐小泉~清里間で、列車の直前で倒木が発生。二両目のDCの窓ガラスが割れ、ケガ人が出た模様との連絡が入る。清里へ旅行に来た20才前後のお嬢さん二人か頭と唇にガラスの破片により、全治三~四日間のケガをして病院で手当を受げたとか、まことに気の毒なことになってしまった。
どうか大したことがありませんように!
その後、各所で側こう誰氾濫したり、けた下に水駐届くようになったりで、一六時二一分小海線は小諸~小淵沢間の全区間で列車抑止となる。
台風一八号は、九月一二日一八時○○分御前崎に上陸、関東、東北地方を縦断して北海道へ抜ける。総雨量は前回より多い二二七nm。年間雨量が一、000mmの地方にしては、まれにみる豪雨である。
台風通過後の=二日未明から現場巡回開始。かなり思いきった対策工を施工した第二千曲川橋りょうはほとんど異常なし。それ以外のいわば傷口に絆創膏を貼りつけたような箇所のほとんどは、土俵工等にかなりの変状が見られた。特に海尻~松原湖間四三?付近では、台風一〇号で高さ一〇m、延長三〇mにわたって護岸壁が崩れ、約三、QOO?の土砂が流失。蛇かご、土俵工で応急処置した箇所が、今回さらに四~五m洗掘され、高さ一五m延長七〇mにわたって土砂が流失。あと少しで線路が宙づりとなるような状態であった。
このため、佐久海ノロ~小海間は再度の不通、これまた開通の見込みのたたないような大被害。またまた一ケ月程無理であろう、と思われる。これ以外の区間は、十三日午前中に開通する。
2009年05月24日
千曲川沿いを走る小海線は大丈夫だろうかと、とりあえず支区長に現地へ急行してもらう。
今、うちの職員はどこうにいるのだろうか?付近に自宅を持っている職員はいないのだろうか?家族は?……と大騒ぎしながら1/25000の地図を拡げていると、
「私の家は、八千穂です。家へ電話してみます。」と叫んだのが、たまたま保線区へ打合せに来ていた軌道検査長。八千穂といえぼ、現場のすぐ近くだ!
「家族はすでに避難したのか、電話が通じません。」と。
自宅と家族を安ずる検査長には、すぐに帰らせることにし、途中まで白動車で送ってもらうことにした。
災害現場へ向う職員も通行止めで、その先へ進めず、しばらく待機する旨の電話も入る。
直径一m以上の巨石や立木を巻きこみながら、まさに"大地を飲みこむ大蛇"の如き土石流の第一波が、千曲川に合流したのが正午前、幸いにも千曲川本流の水位が一m程上った程度で被害もなく、ホッと一安心。第二波、第三波が次々と押し寄せ、避難命令がようやく解除されたのは一六時すぎであった。
"あれだけの土石流が発生したのに、人が巻き込まれなかったのは、関係者の機敏な対応があったから"と翌日の新聞に報じられていた。それによれば、中部電力大岳川発電所の職員が、発電所見廻り中に、地響のような音とともに濁流が急激に増えたため、”土石流だ”と直感。す
ぐに八千穂村役場に第一報を入れ、県警もすぐにヘリを飛ばして現場調査を行うとともに、上空から拡声機を使って下流地域に避難を呼びかけ、土砂が押し寄せる危険のある道路の通行止めを行った……ということで、この中電職員、県警などの見事な連携プレーが避難を早め、最悪の事態をまぬがれた、という評価が高い。
災害の早期発見と機敏な措置、輸送業務にたずさわる我々に最も要求される重要な事柄である。大いに参考にしなければ……。
2009年05月22日
小海線、海尻~松原湖間四三km付近の災害現場は、高さ一五m、延長七〇mにわたって護岸が欠壊流失したため、河床よりコソクリートの護岸壁を立ち上げることとする。
しかし、今回の応急工事の体制づくりは、実に早かった。前回大目玉をもらっていたこともあり、搬入路づくり、現場事務所、照明設備がどんどん進められる。
前回一〇号台風の際、応急工事で施工した、蛇かご、土俵工はもちろん跡形もない。欠壊した護岸もほとんど流失し、残っている護岸も基礎が洗掘され、川側にすべって傾斜、この傾斜護岸壁をてっ去すると、その後方の築堤がさらに崩れるおそれがあるため、これを残し、空隙は、コンクリートで填充することにした。
御多分にもれず、搬入路のない所、ここでも数百mの線路上にシートをかけ、材木を敷き並べて搬入路とする。この付近は、千曲川の中でも最も川幅の狭い所であり、川廻しをするにも盛り立てができないために対岸を削り取って導水路をつくったが、まるまる五日間を費やしてしまった。しかし、それ以降は、昼夜兼行で作業を進め、護岸壁コンクリート約1、000立法m、盛土二、000立法mの大工事現場も予定よりかなり早く、九月二九日無事開通の運びとなる。前回の第二千曲川橋りょうの時に比べれぼ若干さみしい開通であったがやはりうれしいもの。今回は信越線地すべりに振り回され、この現場は、局からの応援部隊と助役達にはほとんど任せてしまう形になってしまった。
2009年05月20日
十一月一七日、台風1O号、一八号で大きな被害を受けた駅や被害箇所を担当した保線区など、二〇箇所の現場機関が、局長表彰を受けることになった。局長から、
「大きな災害にもかかわらず、職員が一致協力して早期復旧に尽した力は部外にも大きく認められた。災害箇所の復旧に対しては、機械や設備面の充実も必要であるが、このように早く復旧できたことは、何よりも作業にあたった職員の団結力である。」
と関係者の労をねぎらう三口葉がある。
「現場長代表の答辞。」
と司会者の言。
「ただ今表彰を受けました二〇現場を代表して、一言お礼を申し上げます。本日ここに晴れの表彰を受けることができましたことは、びとえに、局長をはじめとする関係上司の御指導の賜であり、また、関係機関の協力、さらには、各現場の職員の大奮闘があったからこそであり、大変感謝いたしている所でございます。
今回の災害は、我々に貴重な教訓を残してくれました。この教訓を今後の業務に反映してまいりたいと考えております。
国鉄をとりまく情勢は、ますます厳しいものがありますが、いやしくも国民の皆様から批判を受けることのないよう、国民の方々から信頼される職場づくり、事故のない安全な線路づくりのために職員一同が力をあわせて頑張る覚悟ですので、今後ともよろしく御指導の程、お願いいたします。」
昨日、S支区保線安全日の立会いに行き、タ方、支区の皆さんと一杯飲んだまでは良かった
が、そのあとがいけない。局へ出かける前に朝風呂につかってきたが頭がすっきりしない。そ
んな不真面目な態度で表彰の会場へ。"うまくしゃべれたのだろうか?”と、またまた反省することしきり。
保線区に帰り、受賞をしたことを報告。区員一同の大奮闘に感謝する。
補足説明:警備とは
補足説明:川まわしとは
