入社~
2000年09月29日
ここでは、鉄道員として働くことになったきっかけなど、入社およびその後の話を書きます。もう随分と昔の話になりますが、当時の日記と写真を元に書いています。
[入社~の記事一覧]
鉄道員を選んだきっかけは、電車代がタダと良いお嫁さんがもらえるから
機関士になりたい!・・・第一機関区
大学課程の浪人
鉄道学園の大学課程
東海道新幹線開業
東京オリンピックと新幹線 ~そして大学課程卒業
2000年09月13日
2000年09月11日
・武蔵野の面影を残す東京都国分寺市に、国鉄中央鉄道学園があり、大学課程(当時は2年制)や、短期研修が行われ、常時何百人もの国鉄職員が研修を受けている。大学課程は、将来の中堅幹部養成を意図とした教育で、2年間に4年制大学の教育をするくらいカリキュラムが組まれている。もちろん全寮制で、私は土木科48名の一員であった。
・大学課程には、業務科・機械科・土木科・建築科の5つがのに、あるなぜ土木科に入ったか?実は2次試験(面接)の時、試験官が「どうして機械科が希望ですか?」との質問があった。「世の中正に機械化の時代、ぜひ機械の勉強がしたい!」と答えると、「土木の世界でも機械化は進んでいる。身体もまずまずだし、どうですか土木科で?」とのこと。土木系統の希望者が少なく、機械科志望者が多くて、「どうしても機械科が希望です」と答えると不合格にさせられるのではないか?との不安感から、得意のニヤッとした結果かどうかは知らないが、合格通知は全く自分の希望にそぐわない、『土木科』であった。
これによって自分の将来を決められたようなものであった。
(学園の航空写真)
・教授は、東京大学を始め有名大学の教授の授業が多くあり、4年間掛かって受ける大学の知識のほとんどを、2年間で吸収しようとするくらいの大変なカリキュラムであった。 
土木は地味に見えて、なかなか奥が深い。
2000年09月10日
2000年09月09日
・東京オリンピックの駅での案内役として、我々もお手伝いをすることになった。胸に「English」のバッジをつけ、渋谷駅での案内係を担当。
胸のバッジは立派だが、外人と英語で話す機会はほとんどなく、はじめのうちは、
「外人が来なければ良いのに!」
と思っていた。
実際に外人から質問されるほとんどが、
「会場へはどちらに行ったら良いですか?」
「○○に行くには何番線ですか?」
「新幹線に乗るには?」
などのパターン化された質問が多かった。
そのうちに
「もっと外人さんが来ないかなあ・・・」
という余裕も生まれ、結構楽しい経験であった。
やはり英語は、教室で習う文法なども大事だが、度胸で身振り手振りを交えて会話するのが一番。おかげで外人さんを見てもつい話しかけてみたくなる気分になってきた。
(オリンピック写真)
・卒業後、毎年一回のペースで同期会が開かれ、最初のうちは網代での開催が定番。結婚した!子供が出来た!係長・管理職になった!などの話題が多かったが、2年間寝食をともにしたこの同期生の絆は誠に強いものであった

2年間学ばせていただいたことに感謝!








