日記

2009年10月03日

~当時を思い出して書いてます。~

 スポーツはあまり得意ではないが、皆と一緒に体を動かすことはっ大好き。我が部にもソフトボールチームがある。練習は土曜日、家に帰りたいのは山々だが極力参加、練習の後皆と一緒に飲むジュースの味は格別である。下手ながらでも、ずいぶん楽しいひと時を皆と一緒に過ごさせていただいた。
 
 この会場に現れた上司から、「こんなにソフトボールに力を入れておれば、事故もよく発生するだろうね?」との独特のお褒めの言葉(?)いただく中、チームも発奮、しかしながら1回戦敗退となってしまった。



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2009年10月01日

~当時を思い出して書いてます。~

 はじめてS市に来た時には、最初のうち周囲の社員との歯車がかみ合わない。温暖で豊かな自然の中で、ゆったり(という表現はあまり適切ではないかもしれないが)とした感じの多い社員の中で、特にイライラ症の自分にとっては、なかなかなじめなかった。「ごまめの歯軋り」ではないが歯車がカリカリと音を立てて空回りするような状態。
 3か月程で入院する羽目になってしまった。
 
 1週間余りベッドで横になっている間に、
 「郷に入っては郷に従え!」
 の気持ちが自分にも受け入れられるようになり、徐々にではあるが漸く静岡の皆さんとも馴染めるようになった。



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2009年09月29日

~当時を思い出して書いてます。~

・人事部厚生課の命を受けた。
まず自分自身が「保線屋が、事務系の人事部ですか?」とにわかには信じられなかった。
「字が違うんじゃないの?更生なら分かるような気がするけど…」とも冷やかされる始末。

・社員の福利厚生という仕事は、会社にとっては生き生きと働いてもらう原動力となるものであり、社員にとっては第二の基本給と呼ばれるくらい重要なことである。このような仕事をする部署に選んでいただいたことは誠に有難いことであった。

・厚生課の業務は、社宅、制服、レクリェーション、クラブ活動等誠に幅が広い。会社施策と社員の福利厚生のバランスを考えることはなかなか難しいところではあるが、社員の皆さんから喜ばれる仕事には充実感があった。



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2009年09月27日

~当時を思い出して書いてます。~

快速列車の新造計画、車両のドアの数をいくつにするか?

通勤などに使うには、当然乗り降りのスムーズさを考えれば多い方が良い。
しかし観光のお客さまにとっては車中でゆっくりくつろぐためには出入り口は前後2つが良い。
この二つの要望をどう解決するか?

こんな話も当然議論される。

車両の使い方を限定するのではなく、いずれにも対応できるように3ドアで落ち着くことになったと聞いている。



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2009年09月15日

~当時を思い出して書いてます。~

・高山は小京都と呼ばれ、人気の高い観光地である。新幹線乗り継ぎで高山に来て貰うには、高山線の列車速度が遅く名古屋~高山間を3時間余り要していた。これを新しい車両の導入に合わせ線路改良を行ってスピードアップしようというものである。

・ある時、上司から
「君たちは、カーブ(曲線区間)と、分岐器は遅く走って当然と考えてはいませんか?」
と言われ、頭を殴られたような感じであった。
まさにその通り。直線区間のスピードアップも必要だが、高山線のようにカーブの連続である線区では、正に曲線をいかに早く走るか?また各駅構内には必ず分岐器が幾組も設置されており、ここでの減速をいかに少なくするかがポイントである。

・各系統が知恵を出し合い、新型車両「ワイドビューひだ号」がデビュー、名古屋~高山間を2時間余りで結ぶ特急に大変身した。

・その後、紀勢線を走る「ワイドビュー南紀号」、中央線を走る「ワイドビューしなの号」が、新型車両の導入され大幅な時間短縮を行うことができ、在来線活性化の中心的役割を果たすことになった。



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2009年09月14日

~当時を思い出して書いてます。~

 在来線12線区の各線別に経営を改善しようとする「線区経営改善」の取り組むことになった。
 もちろん管理局の担当者だけで考えるのではなく、「各現場の意見を聞こう!」ということになった。線区別に駅長や運輸区長、保線区長、電気区長などな関係者からいろいろなアイディアを集める
 結果、特急や快速列車の新設とスピードアップ、各駅の名所旧跡案内のパンフレット、レンタサイクルなどのアイディアが一杯出る。
 内容を検討し、可能なものから実施することになった。
 今では随分人気の高い「さわやかウォーキング」はこの発想の中で生まれたものである。



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2009年09月13日

~当時を思い出して書いてます。~

保線区での現場の記録を取りまとめ、千数百部自費印刷して関係の皆様に読んで頂いた。
「良くまとめられましたね!我々の感じていることをずばり書いていただいて嬉しかったです!」
という声と、
「職場改善や災害復旧を自分一人でやったみたいに、えらく格好良く書いたものですねえ!」
という冷やかしの声が半分ずつ。
「もっと現場のドロドロした生々しい話を書いて欲しかったですねえ!」
という声もかなり聞かれたが、活字にするにはやはり限界があり当たり障りのない文章になってしまったことは止むを得ないことであろう。

しかし国鉄の有史以来ともいえる昭和57年の激動期を、皆の協力を得ながら現場第一線で乗り越えてきた事柄を一つにまとめ、記録に残しておくことは又意義深いことであろうと考え、恥を忍んで公にした次第である。

 子供たちの良い刺激になったことも事実。休みのごろりとテレビばかり見ている姿より、事実確認のために図書館に出かけたり、朝早くあるいは夜遅くまで机に向かっている姿をじっと見つめていてくれたことは有難かった。
 この作業も家庭の協力がなければできないものであり、感謝しなければならない。
 子供が学校で友達に「うちのお父さんは、本を書いているんだよ!」と自慢気に話していたということも後から聞いて、ちょっと気恥ずかしい感じではあったが、子供にとっても良い刺激になったと喜んでいる。



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2009年09月12日

~当時を思い出して書いてます。~

 5月下旬、現地から職員が蝮に噛まれたという連絡が入る。

「どうして噛まれたの?大丈夫かい?」

「草むらにポケットから落ちた鉛筆を拾おうと思ったら、そこに蝮が居たこと気付かず噛まれてしまった。大丈夫です。医者に行く必要もありません。」

「まあ、本人が大丈夫というなら様子を見るのだな!」ということにしておく。

私の田舎でも蝮は出る。
噛まれたら一大事である。夏を過ぎたころから、蝮の子つくりが始まり、かなり興奮状態だから特に気をつけるように!ということはよく聞いていた。
まだ5月、どうしてだろうかなと思っていた。

あとからよく聞いてみると、小海線は蝮が多く出る所。
このマムシを生捕ると結構な値が付くらしく、この職員もその道にかけてはかなりのベテランらしい。
何回か噛まれた経験があり蝮に対する免疫(抗体)でもできているのであろうか?

口の悪い同僚に言わせれば、「鉛筆を落としたのか、マムシを捕まえにいったのか疑わしいなあ?」とも。



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2009年09月11日

~当時を思い出して書いてます。~

 K線に7年周期で発生するという『ヤスデ(むかでに似た虫)』の大群の当たり年となり、その大群が線路を横断するため、レール上に這いつくばるヤスデの脂で列車がスリップしないようにしなければならない。
 ヤスデにとっては自分達が集団で移動したいのに線路が邪魔になっているかどうかは知らないが、レール腹部にガムテープを張りつけて横断を阻止したり、ディーゼルカーの前部に排障板を取り付けるなどヤスデと人間の知恵比べであった。



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2009年09月10日

~当時を思い出して書いてます。~

信越線小諸・滋野間では『対地が動く』と評された面積約48haにも及ぶ大規模地滑りが発生。
台風18号の通過後には、信越線の線路わき法面が1時間に4.2mmもズレ、今にも土留め擁壁が倒れるのではないか?と正に祈る気持ちで地滑り計とにらめっこしていたが、どうにか列車を止めるような最悪に事態は避けることが出来た。
しかし法面の崩壊は日に日に酷くなるばかり。管理局長の一声で急遽約400m間の線路を1m山側に横移動することになり、数百人の職員、作業員による深夜の大工事も無事終了し一安心したこと。

これらが思い出される。



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2009年09月09日

23年振りという台風が1度ならず2度も襲来、おかげで都合35日間にわたるK線の不通を余儀なくされたが、応急復旧工事には保線区員、業者が不眠不休の大奮闘をしてくれ、予定より早く開通できた。

初列車が災害現場を通るとき「万歳ぁ~ぃ」の忘れられないあの感激。
住民の方であろうご婦人が、ディーゼルカーの窓から「ご苦労さぁ~ん」と我々に力一杯手を振ってくれ何よりも嬉しかったこと。

後から聞いた話では「地方ローカル線だから、災害復旧なんてしないではないか?」とも心配されたとのことであった。

そのときの生々しい記事は「災害」をご一読ください。



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2009年09月08日

~当時を思い出して書いてます。~

「M保線区では大変だったでしょうねえ?」
とか
「苦労されたのでしょうねえ?」
とよく尋ねられる。
が、M保線区での2年間を振り返ってみれば、自分にとってま求めても与えられない、盛りだくさんの楽しさ豊かな日々の連続。
「本当に良い勉強をさせてもらった!ラッキーであった」と感謝している。
これは、恵まれた豊かで美しい自然と、情の細やかな信州の人となりにすっかり魅せられてしまったためであろうか?



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質問 新幹線、座るなら?
A(3人掛け窓側)
B(3人掛け真ん中)
C(3人掛け通路側)
D(2人掛け通路側)
E(2人掛け窓側)
登場人物紹介
・鉄道員
鉄道一筋の鉄道員。鉄道には本当にお世話になりました。大変感謝しております。



詳細プロフィール

・のぞみ
鉄道好きの女の子。鉄道のことは良く分かりませんが、鉄道が大好き。特に新幹線は大好きです。

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タイトル:鉄道員に魅せられて
著者:粕渕輝雄