日記
2009年10月03日
2009年10月01日
2009年09月29日
~当時を思い出して書いてます。~
・人事部厚生課の命を受けた。
まず自分自身が「保線屋が、事務系の人事部ですか?」とにわかには信じられなかった。
「字が違うんじゃないの?更生なら分かるような気がするけど…」とも冷やかされる始末。
・社員の福利厚生という仕事は、会社にとっては生き生きと働いてもらう原動力となるものであり、社員にとっては第二の基本給と呼ばれるくらい重要なことである。このような仕事をする部署に選んでいただいたことは誠に有難いことであった。
・厚生課の業務は、社宅、制服、レクリェーション、クラブ活動等誠に幅が広い。会社施策と社員の福利厚生のバランスを考えることはなかなか難しいところではあるが、社員の皆さんから喜ばれる仕事には充実感があった。
2009年09月27日
2009年09月15日
~当時を思い出して書いてます。~
・高山は小京都と呼ばれ、人気の高い観光地である。新幹線乗り継ぎで高山に来て貰うには、高山線の列車速度が遅く名古屋~高山間を3時間余り要していた。これを新しい車両の導入に合わせ線路改良を行ってスピードアップしようというものである。
・ある時、上司から
「君たちは、カーブ(曲線区間)と、分岐器は遅く走って当然と考えてはいませんか?」
と言われ、頭を殴られたような感じであった。
まさにその通り。直線区間のスピードアップも必要だが、高山線のようにカーブの連続である線区では、正に曲線をいかに早く走るか?また各駅構内には必ず分岐器が幾組も設置されており、ここでの減速をいかに少なくするかがポイントである。
・各系統が知恵を出し合い、新型車両「ワイドビューひだ号」がデビュー、名古屋~高山間を2時間余りで結ぶ特急に大変身した。
・その後、紀勢線を走る「ワイドビュー南紀号」、中央線を走る「ワイドビューしなの号」が、新型車両の導入され大幅な時間短縮を行うことができ、在来線活性化の中心的役割を果たすことになった。
2009年09月14日
2009年09月13日
~当時を思い出して書いてます。~
保線区での現場の記録を取りまとめ、千数百部自費印刷して関係の皆様に読んで頂いた。
「良くまとめられましたね!我々の感じていることをずばり書いていただいて嬉しかったです!」
という声と、
「職場改善や災害復旧を自分一人でやったみたいに、えらく格好良く書いたものですねえ!」
という冷やかしの声が半分ずつ。
「もっと現場のドロドロした生々しい話を書いて欲しかったですねえ!」
という声もかなり聞かれたが、活字にするにはやはり限界があり当たり障りのない文章になってしまったことは止むを得ないことであろう。
しかし国鉄の有史以来ともいえる昭和57年の激動期を、皆の協力を得ながら現場第一線で乗り越えてきた事柄を一つにまとめ、記録に残しておくことは又意義深いことであろうと考え、恥を忍んで公にした次第である。
子供たちの良い刺激になったことも事実。休みのごろりとテレビばかり見ている姿より、事実確認のために図書館に出かけたり、朝早くあるいは夜遅くまで机に向かっている姿をじっと見つめていてくれたことは有難かった。
この作業も家庭の協力がなければできないものであり、感謝しなければならない。
子供が学校で友達に「うちのお父さんは、本を書いているんだよ!」と自慢気に話していたということも後から聞いて、ちょっと気恥ずかしい感じではあったが、子供にとっても良い刺激になったと喜んでいる。
2009年09月12日
~当時を思い出して書いてます。~
5月下旬、現地から職員が蝮に噛まれたという連絡が入る。
「どうして噛まれたの?大丈夫かい?」
「草むらにポケットから落ちた鉛筆を拾おうと思ったら、そこに蝮が居たこと気付かず噛まれてしまった。大丈夫です。医者に行く必要もありません。」
「まあ、本人が大丈夫というなら様子を見るのだな!」ということにしておく。
私の田舎でも蝮は出る。
噛まれたら一大事である。夏を過ぎたころから、蝮の子つくりが始まり、かなり興奮状態だから特に気をつけるように!ということはよく聞いていた。
まだ5月、どうしてだろうかなと思っていた。
あとからよく聞いてみると、小海線は蝮が多く出る所。
このマムシを生捕ると結構な値が付くらしく、この職員もその道にかけてはかなりのベテランらしい。
何回か噛まれた経験があり蝮に対する免疫(抗体)でもできているのであろうか?
口の悪い同僚に言わせれば、「鉛筆を落としたのか、マムシを捕まえにいったのか疑わしいなあ?」とも。
2009年09月11日
2009年09月10日
2009年09月09日
23年振りという台風が1度ならず2度も襲来、おかげで都合35日間にわたるK線の不通を余儀なくされたが、応急復旧工事には保線区員、業者が不眠不休の大奮闘をしてくれ、予定より早く開通できた。
初列車が災害現場を通るとき「万歳ぁ~ぃ」の忘れられないあの感激。
住民の方であろうご婦人が、ディーゼルカーの窓から「ご苦労さぁ~ん」と我々に力一杯手を振ってくれ何よりも嬉しかったこと。
後から聞いた話では「地方ローカル線だから、災害復旧なんてしないではないか?」とも心配されたとのことであった。
そのときの生々しい記事は「災害」をご一読ください。


